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歐陽詢(おうよう じゅん、557年 - 641年)享年84歳 

 

 

唐の儒家・書家。字は信本。本貫は長沙郡臨湘県。父は南朝陳の広州刺史の欧陽紇。子は欧陽愷・欧陽粛・欧陽倫・欧陽通。

 

 

   初唐の三大家の一人で、唐の四大家の一人でもある。欧陽詢の楷書は端正な字形であり、特に『九成宮醴泉銘』は有名で、日本では昭和時代からこの書風が小中学校の教科書の手本に取り入れられるなど後世に多大な影響を残した。

隋の大業元年(605年)、太常博士に任じられた。唐の貞観初年、太子率更令に任じられた。

 

 

 

代表的な書は次のとおりである。

  • 皇甫誕碑(こうほたんひ) - 貞観中(627年から641年頃)の書。

  • 化度寺邕禅師塔銘(けどじようぜんじとうめい) - 貞観5年(631年)の書。

  • 九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい) - 貞観6年(632年)の書。

  • 温彦博碑(おんげんはくひ) - 貞観11年(637年)80歳のときの書。

 

 

 

 

九成宮醴泉銘

 

 

唐の太宗は貞観6年(632年)夏、隋の仁寿宮を修理して造営した九成宮(離宮)に避暑した。そのとき、たまたま一隅に醴泉(れいせん、あま味のある泉。甘泉)が湧き出たので、これは唐の帝室が徳をもって治めていることに応ずる一大祥瑞であるとし、この顚末を記して碑に刻することとなり、勅命により魏徴が撰文し、欧陽詢が書いた。

全24行で、各行50字あり、篆額に「九成宮醴泉銘」とある。欧陽詢の書として最も有名であり、書体は隋代に行われた方形から脱して特色ある長方形を成し、王羲之の楷書を脱して隷法を交え、清和秀潤な風格がある。陝西省麟遊県に現存する。(Wikipedia)

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