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【奥の細道】 脚本No.3 教秀 作

最終更新: 2019年8月6日

(都の季吟宅)

宗房『先生、何卒お頼み申します。私を門下生として、ここで働かせてください。主君なきあと、藤堂藩にお暇をいただき、良忠公の意志を継ぎ、俳諧で身を立てたいのでございます。』 季吟『宗房殿のお気持ちは、この季吟、よ〜わかり申した。わたくしにも、思うところがありますので、しばらく逗留くだされ。わたくしの思いが定まったのち、この件について、お返事いたす。』

(季吟宅をお掃除し、縁側で季吟の書物を詠んでいるシーン、こじんまりとした庭、それから、2年の年月が過ぎた。) 寛文12年(1672年)、29歳の宗房は処女句集『貝おほひ』を上野天神宮(三重県伊賀市)に奉納した。

季吟『宗房殿、わたくしの考えを伝えます。ここでの門下生としての行き方は貴殿にはあいませね。』

宗房『え〜』(がっくりうなだれる)

季吟『まぁ、気を落とさずともよい。その先がございます。』

  『そこもとは、今は亡き良忠公の意志を継がれるお方です。これからの時代を生きるお方。つまり、ここです。これからとは、江戸でございます。文化の中心のところで生きることがあなたの生きるべき道です。』

宗房『江戸』(驚く表情)

季吟『案ずることはありません。わたくしの知り合いに日本橋本舟町で名主をやっている小沢太郎兵衛と申す者がおります。そこへ書状を書きますので、新たな道で身をお立てください。貴殿のお力であれば、十分に俳諧を広めることが出来ることでしょう。きっと亡き良忠公も喜んでくださると思います。』(季吟から卒業の意味を持つ俳諧作法書『俳諧埋木』を伝授された。)

宗房『はい、あいわかりました。』(不安げな表情)

(豪華絢爛活気にあふれた、日本橋の人の流れに押し流されるシーン)

太郎兵衛『そこもとが宗房殿か、道中ご苦労様でした。いきさつは、季吟先生の書状により、よ〜くわかり申した。』

宗房『よろしくお願い申し上げます。』

太郎兵衛『まず、そこもとにやってもらうのは俳諧の仕事ではなく、わたくしの仕事を手伝ってもらうことです。その理由は、仕事を通して、江戸を知ってもらうこと。そして、その合間を縫って、俳諧を行うこと。どうですか。』

宗房『はい。』

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