『和漢朗詠集』(わかんろうえいしゅう)は、平安時代中期の歌人公卿藤原公任藤原北家小野宮流)が漢詩漢文和歌を集めた、朗詠のための詩文集である。長和2年(1013年)頃に成立した。

『倭漢朗詠集』あるいは巻末の内題から『倭漢抄』とも呼ばれる

もともとは藤原道長の娘威子入内の際の引き出物の屏風絵に添える歌として撰集され、のちに公任の娘が藤原教通(道長五男)と婚姻を結ぶ際の引き出物として、朗詠に適した和漢の詩文を達筆で知られる藤原行成が清書し、それを冊子として装幀されたものといわれている

平安時代前期・中期の貴族生活と国風文化の流れのなかで編纂された詩文集である。当時、朗詠は詩会のほかにも公私のそれぞれの集まりで、その場にふさわしい秀句や名歌を選んで朗誦し、場を盛り上げるものとして尊重されていた。朗詠の盛行の様子は、『源氏物語』『紫式部日記』『枕草子』など王朝文学における物語日記文学随筆にも描かれている。また、『大鏡』には、安和2年(969年)、源雅信村上天皇を偲んで「嘉辰令月」を朗詠したことが記されている

『和漢朗詠集』は、こうした要請に応ずる形で撰した詩文を朗詠題ごとに分類、配列したものである勅撰和歌集後拾遺和歌集』序に「大納言公任卿(中略)やまともろこしのをかしきことふたまきをえらびて、ものにつけことによそへて人の心をゆかさしむ」とある。

上下二巻で構成。その名の通り朗詠に適した漢詩および漢文588句(多くは断章。日本人の作ったものも含む)と和歌216首を選んだものである。主として三代集(古今和歌集後撰和歌集拾遺和歌集)と大江維時編『千載佳句』より取材しており、詩句では唐の白居易(白楽天)の137句、ついで日本の菅原文時の40余句、和歌では紀貫之の26句を最多としている

杜甫李白は各1句と少なく、これは当時の好みを反映している。このアンソロジーには、随所に日本的編集思想がすでにみられる点が注目される

構成は、勅撰和歌集『古今和歌集』等にならい、上巻に春夏秋冬の四季の歌、下巻に雑歌を入れている。

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